美術工芸館の成り立ちは、「就学後の働く場(行先)がない」と、3名の保護者が大下元市長に相談されたことから始まります。そこで就学後の働く場として、1971年に旧福祉会館内に福祉作業所が設立されました。初めは袋はりの作業を行っていましたが、内職作業は受注に波があり、安定した作業提供が出来ない事が課題でした。そこで町田市には名物、工芸品、名産品がない事から、それを福祉作業所で作れないかと考え、1974年に彫刻家・佐藤允了先生の型をもとに「干支」の置物づくりが始まりました。それは「価値ある労働」「安定した市場」を根差した挑戦でもありました。
初代の干支は「白兎」。成人式記念品と敬老の日記念として配布されました。そして「美術工芸センター」から1975年に名称を「町田市美術工芸館」と改め、干支製作を中心として運営されました。館(やかた)は白兎の「美術工芸センター」の時から付けたかったそうですが、当時の仮住まいの建物では気が引けて、将来「美術工芸館」と付けれるようにみんなで誓い合ったそうです。
配布されていた成人式記念品は1980年「寿猿」、敬老の日記念品は1998年「りゅう」が最後となり、1999年に現在の新生児の出生祝いの記念品として配布が始まりました。
現在は、二代目作者の前田忠一さんに型を作っていただき、信楽赤土の粘土を使った「テラコッタ」(素焼き)の置物を製作しています。
取り組み・指針
干支やキャンドルの物づくりを通して、障がいを持った方々が働く意欲と作成した物が出来た喜びや達成感をみんなで分かち合ってもらえるような施設です。
物づくりの他にも、内職作業(タオルたたみ、CD/DVDの仕分け作業、封入作業、お菓子の箱折りや袋詰め作業)は、みんなで協力し合う事で仲間意識、団結心を持ってもらい、「納品」という形を感じてもらいます。
また、作業を細分化し、ご利用者がひとつでも多く出来る事、携わって貰う事を見つけ、やりがい、達成感を持てる様に支援しています。